善悪の区別
お久しぶりです。サボってました。わら
今日は「善悪の区別」について書きたいと思います。
なんでこの事を書くかというと半年前くらいにオードリーのオールナイトニッポンを聴き始めてそこで、若林さんが「自分の善悪の区別に自信がない」って言っていてその時に善悪のくべつかぁ…と思い過ごしていました。
ちょっと前に知り合いの家の池に魚がいてその池の魚が近所の子供達に悪戯されてるから困ってると言っていました。
僕の知り合いの人はなんで池の魚にちょっかいを出すのかが理解できない。と言っていたのですが僕はその時いや、子供なら魚に悪戯くらいするだろってその時言ってしまい「こいつ何いってんだよまた」みたいな感じで見られました。
そこから少し待ちちょっと前に夜散歩をしていたらアラブ人の少年に絡まれてカツアゲ的なのをされました。カツアゲをされたこともした事もあるので、肩を押されたり胸ぐらを掴まれながら懐かしいなって思いながらどーやってここから抜け出そうかなって考えていました。
その時浮かんだプランは二つ。
一つは、そのアラブ人の首を軽く殴って逃げる。
二つ目はすんなりお金を出してその場を収める。
僕は少し考えてそのアラブ人の少年の首に掌底で軽くパンチしました。
予想通り彼はむせ、一応怖かったのでチンチンも蹴って走って逃げました。
この事を友達に言ったらお金渡してその後に警察に言えばよかったとか、そんな事を言われた時にふと「善悪の区別に自信がない」という言葉が出できました。
僕は昔から同じフィールドでならフィールド内のルールなら何をしてもいいと思っています。
例えば喧嘩です。不良の先輩は武器を使ったらダサいとか、2対1はダサいとか言っていましたが僕からすると同じ言語を話していて、口頭で解決できる能力を持っているのに暴力を使用した時点でフィールドのルールは暴力によって制圧に変わるのです。なので相手が一発殴ってきたら僕は最悪刺してもいいと思ってします。
しかし殺してはいけません。殺人というフィールドはまた別の条件で発生します。
話がずれましたが「善悪の区別」なんてものは、ただの実体験及び許容範囲での判断だと思いました。万引きをした少年が万引きをする人の気持ちがわかるのと同じです。
だから最近思いました。色んなことに怒ってる人は経験も乏しく、許容範囲が狭いんだなと。
でもわかりません僕も善悪の区別に自信がないので。
ばいちゃ